唯物弁証法はその解釈者によって、強調点が異なる。社会が比較的安定していた1848年から半世紀の間では、歴史や文化を「唯物的」に解説する傾向が強く、コントの実証主義と似通う。彼らは資本主義経済の進展が革命を不可避にする、と論ずる。「思想は天から落ちてこない」と書いたアントニオ・ラブリオーラやフランツ・メーリング、プレハーノフやローザ・ルクセンブルクなどはこうした傾向の代表者であった。
もう一方の傾向としては、唯物弁証法の「弁証法」、つまり変革への意識的な関わりを主張するものがある。経済に対して「政治活動」の重視を唱え、現体制の打倒をうながす。したがってプロレタリアート「意識」を先取りして体現した党が、革命を代行することができるというボリシェヴィキ理論の基礎となったのも、このように目的的に解釈された「唯物弁証法」なのだ。ロシア革命以前には、この一派はレーニン以外の著名な権威をもたなかった。
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ロシア革命がソ連国家を成立させ、レーニン主義が確立されると逆説的な事態が生じた。「弁証法」はその運動の本質から終わりがないものと考えられるのに、すでに「労働者国家」という最終目的が達成され運動は終わりを告げ、なお弁証法を唱える理論家はレーニン主義の名の下に異端とされることとなった。